2014年4月5日土曜日

映画の予告編がおもしろい理由。見る側と作る側のココロの乖離



先日、馬鹿げた案件に付き合って完成まで見ていた。
最後の最後になって

「体験版用に絵を書き下ろす」

とか言い始めたりしていて、なんだかなぁ――と思った。


その次の日、他の人間と
「映画って予告みておもしろそうと思っても、駄目な事多いよね」

というよくある会話をしていた辺りで、タイトルの事を思った。

ちなみに、ねこてんは、グリードという映画の事を、許さない。





何かを作る側としては?



映画の予告編ってのは本編と比較して最後まで観てもらえる率はハンパない。ハンパ無い所ではなく強制的に全部見せられる。加えて再生回数も本編と比べる事すら意味が無いくらいに多い。

作中での思い残したこと、消し去りたい部分、ここだけは絶対にみせたい部分――そんなものが全て詰まってるんだから面白くないわけが無い。

ダウンロードタイプのゲームならば、体験版の方が触れる人数が遥かに多いわけなので、先の考え方は間違っていない――と思いたい。

ひねた考え方をして、「体験版予告編のみに力を注いで面白く作って、本編は手抜きという手法で儲ける」という方向性を持つ人間も居るんだろうな。これは正規の思想の逆なのか裏なのか対偶なのか?


拠点を固定化しない、製作者として名を残さない、といった条件を満たすなら、ひねた考え方は非常に優れた集金方法なのかもしれない。

たまに現れる「バリゾーゴン」などはその最たるものだろう。






見る側の人間は?


上記の様な事は微塵も考えてないのは当然。
映画ならば、予告よりも本編が面白いもんだと思って映画館に足を運ぶだろう。
そんでもって、予告より少しおもしろくない程度ならおもしろかった、予告と同等なら超おもしろかった、という感想に収束しそうだ。






結局


なんでもかんでもマーケティング命って事?

全員がモノを作る側に立てれば、一度は立った事があれば、ずいぶんと世界は変わる気がする。
隠れた名作ってのは、予告がツマラナイ作品だったりするのかもなぁ




あんまり関係ないけど、映画の予告がおもしろい理由でググッてたら以下のツイートが目に入り、ココロに染みた








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